案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年7月25日水曜日

今日の1枚 八高線金子駅

八高線金子駅  2012.07.25
今日、用事で何十年ぶりかで拝島から八高線に乗り金子駅に降り立った。
八高線はとっくに電化され昔の面影はなく、駅前でスクールバスを待つ学生たちの華やかさに今の時代を感じたが、それも学生たちを乗せたバスが発車してしまうと昔と変わらない駅前の静寂があった。

昔、この金子から東飯能にかけてよく八高線を撮りにきたことがあった。もちろん駅で車両だけを撮るなんて事には全く関心がなかったが蒸機は別格であった。

金子駅を発車したD51重連が拝島方面へ向かう    1966.09.29



引き返してきた石灰石空車列車 金子駅 1966.9.29
前回→八高線金子駅界隈


石灰石列車が通過する箱根ヶ崎駅の風景  1966.03.27

八高線拝島駅での日常風景であった. 1966.03.27

2 件のコメント:

H.Kuma さんのコメント...

金子駅は思いっきり地元ですね。
といってもこちらへ来たのは社会人になってからなので、蒸気全盛の頃は知らないんですが。
こうして貴重な写真を拝見しますと、大変感慨深いです。

我が家は最寄りが青梅線ですが、高崎方面なんかにツーリングに行く時はここまで自転車で走った方が早いので、金子で自転車分解して一緒に電車に乗ったりもします。
駅舎は今も木造のまんまでなかなか良い感じ。
走ってる車両はそれなりに近代化しましたが、歩道橋みたいな跨線橋と架線柱が無ければ、基本、昔と変わらないんじゃないでしょうか。

金子から東飯能寄りにある築堤あたり、住宅が建て込む前は周囲の見通しも良く、大樹を入れたなかなか絵になる写真が撮れました。
http://hkuma.com/album/hachiko.html

katsu さんのコメント...

Kumaさん、
ありがとうこざいます。電化直前の八高線のサイト拝見しました。
私は八高線のこの時代を知らなかったのですがこんなだったのですか。
Kumaさんのお住まいは確か我が家の隣町でしたね。
私は青梅市に住んだのは2年だけでしたが、その後も頻繁に青梅と北関東を行き来していました。
八高線は金子から東飯能へ向かって蒸機列車をよく撮りに行きました。
坂の途中はとても殺風景な茂みで今も変わらないようですね。
坂を下った先の桑畑や池がある風景や入間川鉄橋あたりの風景が好きでしたが今や住宅が密集していることでしょう。
近い内にもう一駅先まで乗って今の光景を見たいと思っています。