案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年6月27日水曜日

淡路交通 島の電車 車両編1

島の電車には南海からの譲受車を改造したものと、自社ガソリンカーを改造したものがあり
南海からの譲受車は淡路交通の電化に合わせ昭和23年に下記の5両が入線した。
いずれも前面5窓タマゴ型の木造電動車で自社宇山車庫で手持ち部品を取付け様々に改造されてきた。

モハ1001 元南海→クハ101化 木造車のまま 昭35年廃車
モハ1002 元南海→昭29年鋼体化(車体交換) その後貫通路付に改造
モハ1003 元南海→昭34年鋼体化 車体は原形を残し廃線まで活躍
モハ1004 元南海→木造車のまま 昭35年廃車
モハ1005 元南海→昭36年鋼体化(車体新製) 唯一のクロスシート車

昭和40年に活躍していた上記の3両は外観が全く異なりその経緯は大変に複雑である。

モハ1003 1965.08.02   長田
台車がブリル27MCBに交換されていたが、南海の前面5窓タマゴ型木造電動車の面影をよく残していた.この電車が生まれた明治42年によくぞこれ程の美しい車両がデザインできたものである。

モハ1002 宇山
車体を元ガソリンカー前面2枚窓(その後貫通路付に改造)に載換え、台車をDT10に履替え、腰高で独特のスタイルをした全くイメージが異なる電車となった.

モハ1005  台車DT10を分解中 宇山車庫
唯一のクロスシート車でモハ1010とは窓数が異なる.昭和36年にモハ1010と同様のスタイルに車体を新製している.モハ1010のブリル27MCB2に対しこちらはDT10(旧称TR14)を履いていた.


モハ1010+1011    1965.08.02  宇山
昭和31年の増備で更に南海の木造車2両を譲り受け、数年後に車体を新製(昭和車両工業所)し鋼体化された。元が前面5窓タマゴ型木造車とは思えない淡路交通を代表する平凡だがよく纏まった電車であった。今後はこのタイプに統一していく予定であったらしい。
淡路交通が昭和41年廃線になり水間鉄道へ転出したが余り活躍することなく廃車になったようだ。

4 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

淡路交通も『間に合わなかった』線区のひとつです。
新技術にチャレンジした島の電車。四国への修学旅行の帰りにバスの中から、懸命に廃線跡を探したものでした。

katsu さんのコメント...

Cedarさんの今昔日記で
四国の修学旅行のことを以前読んだことがあります。
修学旅行では、まだ橋ができていなかった淡路島にも寄ったのですか !
福良~洲本間の道路をバスで走ったのでしたら
何か痕跡が見れたかも知れませんね。
昔の淡路島は福良~洲本間を除くと大変な凸凹道でバスの車内は
しっかりシートに掴っていないと投げ出されるくらいのすごい揺れ方でした。

恭子 さんのコメント...

私は廃線の日に、母に乗せてもらいました。
当事2歳の私でしたが電車デビューでした。
53歳の今でも車内や、車内からの風景を覚えています(^o^)
あまりの懐かしさに涙が出ました。

katsu さんのコメント...

恭子さん
大変申し訳ございません。
昨年夏にコメント戴いていたのに、すっかり見落としていました。
この度、発刊した「地方私鉄1960年代の回想」に淡路交通を取り上げていますが、
改めて淡路の風情の素晴らしさに私も涙が出てきそうになります。
あの時、車内で幼い女の子が関西弁で親としゃべっていたのが、関東人にとってとても印象的でした。
日本各地になんとも言えぬ感動が流れていました。
それは忘れ去られた日本の良さだったのでしょう。