案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年3月5日月曜日

呉市電 瀬戸内海の呉3

先日の「瀬戸内海の呉1」で、山並み迫る電車通りに見えた第一生命と「嫁入道具」青山家具の看板をたよりに地図を調べてみたが撮影場所の確定はできなかった。
ところが「呉2」の何枚かの阿賀駅前の写真に第一生命、「嫁入道具」、青山家具の看板が写っていて、阿賀車庫へ入る線はどうやら「嫁入道具」の前から分岐していたようであった。

さっそく呉線の安芸阿賀駅前の古い航空写真から位置関係を調べてみた。
航空写真は家具店の建物などまだ建っていない時代だが、子供達が遊んでいた街角は安芸阿賀の駅前通りであり、そこを直進した先に見えた市電通りの「嫁入道具」青山家具店の脇に電停があり、阿賀車庫の分岐線は家具屋の前あたりであることが判った。
市電の阿賀車庫は安芸阿賀駅と電車通りの間のかなり広い一角にあったわけだ。
安芸阿賀駅の駅前一等地にあった車庫の跡には今や大きなビルが立ち、殺風景だった市電通りの空き地も今ではビルが乱立している。


国土地理院 1947年 呉市阿賀


                                        700形.昭27年富士車両製      阿賀車庫  1967.3.7   画像クリックで拡大 

 
600形608.  昭24年広瀬車両製

1000形. 昭28年ナニワ工機製の軽量電車


          500形 元武蔵野電気鉄道1形       800形 昭26年帝国車両製


100形単車. 旧芸南1形(昭2梅鉢製)を昭25帝国車両で半鋼製車体新製.

4 件のコメント:

常夜燈 さんのコメント...

第一生命とトップセンターは阿賀駅前だったのですか。私も地図であたったのですが判りませんでした。貴兄が行かれた5カ月後に訪れたのですが102は同じ位置でダルマになっていました。朝の呉線は壮観でした。

katsu さんのコメント...

常夜燈さん
常夜燈さんが撮られた第一生命や家具店トップセンターが見える写真を思い出しました。ここが電停阿賀駅前だったのが分かったのはつい数日前です。路面電車の場所当ては中々楽しいものです。呉市内線に較べ呉線の蒸機は写真写りがよく素晴らしかったですね。

にわか呉市民 さんのコメント...

いつも貴重な写真を拝見させていただいています。家具店は寿司屋になりながらも当時の建物のまま残っています。グーグルストリートビューで確認できますので、よろしければどうぞ。

katsu さんのコメント...

にわか呉市民さん、ありがとうございます。
ストリートビューで元阿賀駅前電停の場所を見ましたが
確かに家具屋の建物は昔のままで今は寿司屋になっているのを確認できました。
隣のビルは立替えたようですが今でも第一生命なんですね。
今や町や主要道路沿いであればそこへ行かなくてもストリートビューで激変の今昔比較ができますね。
便利な時代になったものです。