案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年1月27日金曜日

熊本電鉄 小田急1100の思い出

中学生の頃、よく小田急のデハ1100形に乗ったが当時はカメラも持ってなく活躍していた頃の写真は撮る事ができなかった。それから10年くらい経って熊本電鉄で元小田急1100形に再会した時は、運転台にあった大きな手動ハンドル、H型の仕切りバー、小さな木造運転室と客室ドアまでの壁など、遠い昔の事が蘇ってきた。

小田急で1100形が動いていた頃の朝のラッシュ時間帯は、この小さな電車に通勤通学客がギュウギュウ詰めで大人に埋もれた小中学生は大変な思いであった。1100形の連結面は運転台が自由に出入りでき(付随車化された中間車だったか?)、よくそこへ避難したが大人の乗客も運転室まで溢れ、下北沢でどっと降りる時は運転室のドアを開けて降りていた。また夏の学校帰りは連結面の運転台で窓全開でモータの唸り音を聞きながら涼むなど楽しいひと時であった。
写真は熊本電鉄 1967.3.6

懐かしい1100の運転台.  熊本電鉄モハ303   画像クリックで拡大

反対側の運転台

 菊池駅を発車したモハ303


朝の広瀬駅 モハ303


モハ301は小田急が買戻し開業時の1形に復元. 北熊本

1959(昭34)年 小田急デハ1105~1108の4両(両運転台)が熊本電鉄へ譲渡されモハ301~304となった。

2 件のコメント:

常夜燈 さんのコメント...

私が熊電を訪れた時も活躍して
いました。小田急時代は知りません。
このクラスの車体、出力、制御器が
中小私鉄向きでしょうか?
北恵那鉄道へは名鉄から同じクラスの
モ560が行き、最後まで活躍しました。

katsu さんのコメント...

常夜燈さんが熊電を訪問されたのが昭和42年、ちょうどこの年に私も訪問しました。
この頃は旧型車がかなり残っていて、元可部線広浜電車と元小田急1100など似たような電車ばかりが揃えられて感心しました。

京王、阪神、小田急など大手私鉄で不要になった3扉14~15mクラス小型車は地方ではサイズ的に使い易い車両だったのでしょう。
大手私鉄の次の世代からは車両が大き過ぎて地方私鉄には似合わなくなりましたね。