案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年9月30日金曜日

下津井コーストライン 下津井駅

瀬戸大橋の開通に合わせて “楽しい電車の走るナローゲージの旅” 「下津井コーストライン」と銘打った観光鉄道への変身が図られ、その一つが下津井駅での軽便車両展示であった。勢いもなくなっ軽便鉄道が、新車メリーベル号の投入だけではなく児島と下津井両端駅が派手な観光施設化されたのには驚いた。
花壇に囲まれ展示された軽便車両は遊園地のような派手さに抵抗があったが現役の車両や車庫まで取込まれていたのが魅力的であった。喫茶室で軽便風景を眺めて一時を過ごしていると贅沢な気分になったものだった。
 

クラシック音楽が流れる喫茶室でコーヒー飲みながら軽便風景が楽しめた.


煙はく 下工弁慶号(石川島造船所明治40年製)




下津井 1988.4.9

2011年9月28日水曜日

下津井電鉄 丸亀航路


瀬戸大橋開通に合わせて作られた下津井電鉄の案内板. 児島駅 1988.4.8

その昔、岡山から国鉄宇野線の茶屋町で下津井電鉄に乗換えて下津井まで行き、下津井港から丸亀航路で四国へ渡るルートの一翼が下津井電鉄であった。
1972年3月に茶屋町-児島間が廃線となり、児島~下津井間6.3Kmのみとなり国鉄との接続が無くなってしまったが、観光客の足はそれ以前から倉敷~児島間のバス便がメインであったようだ。

残された路線で児島から鷲羽山や丸亀航路の下津井港へ観光客を運んでいた軽便鉄道は、瀬戸大橋の開通に合わせ観光鉄道化への様々な増収策が実施された。
そして1988年4月10日に瀬戸大橋とJR瀬戸大橋線が開通すると、岡山からJRで四国へ最短時間で渡れるようになった。

大カーブで方向を変えると海へ向って下る. 下津井-東下津井  1988.4.9


下津井港へ向かって下ると終点下津井に到着する.

下津井で降り改札口を出ると丸亀航路が迎え、丸亀まで1時間ちょっとの瀬戸内海の
船旅が始まる.写真はまだ瀬戸大橋が開通していない前日の風景。 1988.4.9

四国丸亀と連絡する琴平参詣船の発着港として繁栄してきた下津井港. 1988.4.9


部分廃線以前の下津井→丸亀航路 1969年5月
丸亀航路から見た下津井港の古い街並. 1969年5月

2011年9月26日月曜日

下津井電鉄 沿線のハイライト鷲羽山

下津井電鉄沿線のハイライトは琴海~鷲羽山間のSカーブで車窓に開ける瀬戸内海の眺望、そして瀬戸内海の島々を結び四国まで連なる瀬戸大橋を一望できる鷲羽山にあった。
鷲羽山の駅に真っ赤に塗られたメリーベル号が到着すると、沢山の観光客が下りてきて鷲羽山へと向かって行った。この翌日に瀬戸大橋が開通する。


琴海-鷲羽山  1988.4.9


琴海~鷲羽山を行く下津井電鉄の名場面  1988.4.9
        
         1969(S44)年5月              1962(S37)年8月           

完成した瀬戸大橋の下をくぐる軽便電車

四国まで繋がった瀬戸大橋を一望にできる鷲羽山山頂.

メリーベル号に乗って鷲羽山駅に降り立った観光客.

瀬戸大橋が開通した日

1988(S63)年4月10日瀬戸大橋が開通した。
この日の朝は快晴、下津井電鉄は昨日までと同じように瀬戸大橋を横目に走っていた。
瀬戸大橋開通がチャンスとばかり下津井電鉄では観光鉄道への変身を図ったが、橋の開通から2年8ヵ月で全廃となった。地方私鉄でしかも軽便としては涙ぐましい数々の増収策は、皮肉にも瀬戸大橋の開通により新生メルヘンチック鉄道が成り立たなくなってしまい、全てが消滅してしまった。


この日開通した瀬戸大橋を横目に走る. 鷲羽山 - 東下津井 1988.4.10 


東下津井   1988.4.10

2011年9月24日土曜日

雄勝線 古典車両3

美しい田んぼが一面に広がる秋田の米どころ雄勝郡を走る古典客車。
小さなポール電車に牽かれ木造ボギー客車は変化に富んだ編成を見せてくれた。
そして明治生まれのボギー客車ホハフ2などは美しく輝いていた。

ホハニ2      西馬音内  1964.8.6
大正4年川崎造船所製の元国鉄ナハフ


デハ6に牽かれてやって来たホハニ2.  羽後山田   ポップアップ

ボギー客車に乗りこむ楽しそうな子供達. 羽後三輪

ホハフ2  西馬音内
明治43年国鉄神戸工場製の元国鉄ナハフ


デハ5(元都電の車体)に牽かれて美しい田んぼを行くホハフ2.  西馬音内      ポップアップ

2011年9月22日木曜日

雄勝線 古典車両2

羽後交通雄勝線の古典車は、どれも見事に整備されていてとても美しかった。
赤味がかったコゲ茶の木造車体に、まっ黒に塗られた足回り、古典車の気品を感じたものだった。
汚れていたり、くたびれたような箇所はなく車両が活き活きとし、整備マンの心意気、会社の方針、どちらにしてもお客様に気持ちよく乗って頂くことが徹底されていたのでしょう。
動態保存のような美しい客車がごく普通の日常に使われていたのが素晴らしかった。
雄勝線の古典車を模型化するなら、塗装仕上げのままとしウェザリングで汚すことは不要でしょう。


デハ3  西馬音内  1964.8.6   ポップアップ


デハ3とデハ1  西馬音内   ポップアップ
開業からの生え抜きで昭和2年蒲田車両製.楕円の戸袋窓が魅力的.
2両の単車は西馬音内電車区でしきりに古典車の入替えをやっていた。

古典2軸客車ハフ11(明治41年製)

ハフ13 14(大正元年製).この日はハフ14が出動していた.
よく手入れの行き届くいたハフ11 13 14の3両は明治村に引き取られた。



西馬音内電車区の車両工場
古典車はここでしっかりと手入れされていた。

2011年9月21日水曜日

雄勝線 古典車両1

昨年6月19日にアップしました「雄勝線 西音内電車区」の車両について更に続けます。
過去にアップ済の雄勝線記事は下部のラベル(カテゴリ)の羽後交通雄勝線をクリックすると
全てが繋がります。


デハ3    1964.8.5  ポップアップ


ポール電車に牽かれ活躍する古典2軸客車(ハフ14)の日常風景。 ポップアップ


□□□□□□↓ ラベル(カテゴリ)

2011年9月19日月曜日

お知らせ ポップアップ画像について

9月16日からBloggerのポップアップ表示機能が変更されました。
記事中の画像をクリックされると下記の画面(見本)となり、ポップアップ画像だけが拡大されます。
元の画面に戻すには×をクリックするか、背景(黒)をクリックして戻して下さい。


羽後交通 横荘線

昨年5月17日の羽後交通横荘線を、リニューアルしてみました。



 混合列車が行く. 横手 1966.3.4
横荘線は、秋田県横手と日本海側の本荘を結ぶ計画で横荘の名がつけられたが、
果たせず横手~二井山間を営業していた。 
キハ3がホハニを牽いて横手機関区の脇を走る.
 ホハフ6(元都電)  


巨大なアーチバー台車を履いた珍品客車ホハニ3、羽後交通両線には様々な珍しい車両が在籍していた.

ホハニ4 (明治43年製 元国鉄)


 キハ3

撮影 marimoさん

国鉄 横手機関区

2011年9月16日金曜日

花巻電鉄 中根古の朝

また花巻電鉄に戻り、石神を過ぎて次の中根古まで行ってみます。

熊野 - 中根古  1966.3.4  
朝の日が昇った中根古の朝はすがすがしく、雑木林の脇を流れるたんぼの小川の水があまりに気持ち良さそうで足を小川に入れて電車が来るのを狙った。


熊野 - 中根古

田圃の小川は軌道沿いに流れ、小川と軌道の間の電柱に中根古と表示されたところが停留場であった。
朝の日が広い道路に長い影を落とし、道路には車やオートバイが数台走るだけでひっそりとし、朝のラッシュ時を感じさせるのは客車を牽いて花巻へ向かう満員電車くらいであった。 軌道が廃線になって道路が奇麗に舗装され車社会になったのは、この後ほんの数年だったのだろう。

のどかな中根古の朝の光景であった。この辺りを東北自動車道がまたぎ、近くに花巻南ICが開通したのは20年後の1986年であった。

2011年9月14日水曜日

東武鉄道 熊谷線(続)

1月24日にアップした東武鉄道熊谷線の続きです。
先日、You-tubeのlodgershinmeishrineさんのチャンネルに熊谷線がアップされました。
動画は廃線2年前の1981年8月26日撮影で、あれからもう30年が経ちました。
丁度この動画撮影と同じ頃、私も訪問しましたので音声入り動画を見るとあの時のことが
鮮明に蘇ってきます。
                         

昭和56年の夏、廃線が近い噂を聞いて私も車をころがして行ってみました。
カメラは全自動カメラ、この頃は地方私鉄を撮りに行くことはまずなく、
熊谷線の撮影が唯一だった。     撮影 1981.7.17       

以下は終点妻沼駅の風景