案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年11月13日日曜日

仙台鉄道 加美中新田の風景

1960(昭35)年5月に全線廃止となった仙台鉄道。ここも見る事が出来なかった遠い昔の軽便鉄道の一つです。加美中新田の風景の写真4点は学生時代に鉄研の先輩から頂戴したもので、撮影者の了解を得てアップします。
仙台鉄道は北仙台~西古川間44kmの長大な軽便であったが昭和26年にその殆どが廃線となり、昭和35年まで加美中新田~西古川間3.4kmが残されていた。写真の加美中新田の風景は廃線間際と思われます。 減速進行さんの仙台鉄道路線図でいかに長大路線であったかがよく分かります。

                               撮影: 法政大学鉄研OB竹下氏

DB701とキハ3  加美中新田  昭和35年頃


キハ3 昭和3年丸山車両製の木造客車を、
戦後 協三工業にて気動車に改造され最後まで活躍した.
キハ3 片側がバケットで反対側はデッキのみ.
アーチバー風の台車を履いた元客車キハは、頚城の元客車ホジと同様.


キハ4 昭和15年丸山車両製作所製

以下は仙北鉄道DB071で、仙台鉄道DB701と製造メーカ、自重が同じで製造時期が1年違い。
外観は全く同一で両者は兄弟機なのだろう。

仙北鉄道DB071  瀬峰  1964.8.4 


仙北鉄道 DB071 車両竣功図  動輪径730Φ
協三工業 昭和26年8月製造 自重7トン

北仙台行きの仙台市電. 東京オリンピック直前の1964年夏の丸光百貨店前. 1964.8.8 
ずっと昔、仙台鉄道は市電の北仙台から出ていた.

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