案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年1月27日木曜日

常総筑波鉄道 筑波線

常総筑波鉄道は昭和40年6月に鹿島参宮鉄道と合併して関東鉄道になったが、その数年前に訪問した常総筑波鉄道時代には個性ある気動車が活躍していた。真鍋の車庫にはあまりに古すぎて正体不明な車両も居たがこの直後に消えてしまったようだ。

初めてこの筑波線に乗ったのは上野から国鉄客車に乗って筑波山へ遠足に行った時であった。その時に交換駅でみたツートンカラーの元国鉄40000形に惚れこんだが、その隣の何やら小さな窓のブサイクな気動車が妙に印象に残っていた。
何年か経って撮影に訪問すると、土浦駅でブサイクな気動車キハ305に出会えて感激し、好みはすっかりキハ305に変わっていた。このキハ305の経歴は判らないが松井車両のようないかにも田舎ガソリンカーといった堪らない魅力を感じる。

これぞ筑波線のキハ301が活躍していた。     真鍋    1962年3月

真鍋機関区の風景。 大型のキハ401(播丹鉄道の国鉄買収車)

301に較べて一段と窓が小さく、強烈な個性溢れるキハ305。   土浦


キハ311 (元国鉄キハ40009)   真鍋
ホハフ201

ホハ312 真鍋

こんな自動車がまだ動いていた時代。 真鍋

機関庫の中には巨大な7号機が鎮座していた。 真鍋
1924年汽車製造製の名機1C1形タンク

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