案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年4月30日金曜日

古典SLが活躍していた地方私鉄

上武鉄道(旧日本ニッケル鉄道)
八高線の丹荘から西武化学前まで6.1Kmを、客を乗せた列車が1日5往復走っていた。地方私鉄といっても実質は西武化学の工場と国鉄を結ぶ専用鉄道であった。
訪問した1962年の12月、ピッツバーグ製古典蒸機7号機が最後尾にハフ3(元篠山鉄道ガソリンカー)を連結した貨物列車を牽いていた。

当時、この線のディーゼル機関車はD1001(元鹿島参宮鉄道)だけで、他は古典蒸機だらけ。終着西武化学前の駅に降りるとそこは工場の中で、構内のあちこちで古典蒸機が煙を吐いていた。
7号機 1897年アメリカのピッツバーグ社製
6号機 1902年イギリスのナスミス・ウィルソン社製
3号機1891年イギリスのダブス社製など
こんな古典蒸機が生きていた。

終点 西武化学前駅は工場の中。1962.12.23















7号機 1897年アメリカのピッツバーグ社製















3号機1891年イギリスのダブス社製















6号機 1902年イギリスのナスミス・ウィルソン社製















夕闇せまる頃、西武化学前にひき返す列車。D1001+ハフ3

2010年4月27日火曜日

SLが生きていた地方私鉄

山陽本線明石の先にある土山と別府港を結ぶ別府鉄道。
野口線と土山線があり、土山線は貨物輸送が主であるが客扱いの列車が1日5往復あり、客貨混合列車を小さなSL日車C形5号機がのんびりと牽いていた。
1962年頃はこんなSLが活躍している地方私鉄がまだあった。別府港の機関区を訪問すると、現役の雨宮1B形の1、2号機、日車C形6号機など小さなSLを見せてくれた。
火の入った雨宮の現役の蒸機が活躍しているなんて信じられない光景であった。

5号機が牽く土山へ向かう混合列車. 1962.7.28


2010年4月23日金曜日

小型電動貨車が活躍する小さな鉄道1

秋田中央交通軌道線。(画像再調整 '10.10.4)
国鉄奥羽本線八郎潟から五城目まで走っていた全線3.8Kmの小さな鉄道。中間にあるのは2駅だけ。電車ではなく電動貨車が客車を牽くというのがとてもユニークであった。

並行する道路はぬかるみだらけ。    1966.3.5


元東急の電動貨車(単車)が牽く列車。

2010年4月22日木曜日

スーパ駅長「たま」の貴志川線の昔

南海電気鉄道貴志川線(旧和歌山鉄道)。
今や、スーパ駅長「たま」、いちご電車などで有名になった和歌山電鉄貴志川線。
1965年夏の南海電鉄貴志川線時代の情景です。

大池遊園を行く。   1965.8.4

たま駅長がいる終点貴志駅の45年前の風景。今では様変わりしていることだろう。

伊太祈曽駅の交換風景

荷台カゴ付元ガソリンカーが顔を揃える。

2010年4月21日水曜日

驚きの珍品、和歌山の電車

南海電気鉄道貴志川線(旧和歌山鉄道)。
国鉄紀伊本線東和歌山から貴志まで走っていたが、今も同区間を和歌山電鉄貴志川線として残っている。
訪問した1965年当時でも車種が多く珍品には驚いた。元ガソリンカー改造の電車、元大手私鉄の名車、寸詰まりの小型電車など特徴のある車両ばかりであった。車庫へ行けばさらに凄い車両に出会えたであろう。
車両写真は2011年8月の「貴志川線の車両たち1~3」へニューアルししました。


モハ603 元阪急+クハ802 元片上ガソリンカー
東和歌山駅1965.8.4

モハ202+クハ803元片上+モハ206元江若
全て元ガソリンカー

モハ206+トレーラ+モハ205 モハは元江若ガソリンカー


モハ605 元阪神

クハ803 元片上ガソリンカー

2010年4月20日火曜日

東尋坊へ向かう電車

京福電気鉄道福井支社 三国芦原線。
一度廃止された鉄道だが、第三セクター「えちぜん鉄道」として生まれ変わり、2003年に営業が再開されている。
国鉄福井駅前から出るこの京福電鉄は、福井口で越前本線と三国芦原線に分岐する。三国芦原線は国鉄北陸本線と並行し、芦原温泉で海側に進路を変えしばらくすると終点三国港に到着する。三国港駅は目前が日本海であり、名所東尋坊へはここから海岸沿いを歩いて行ける。
1968年1月に訪問した時、この終着駅一帯は冬の日本海の荒波のしぶきの中であった。

三国港  1968.1.15

駅の向こうは冬の日本海

三国港行き列車

2010年4月19日月曜日

熊本電気鉄道

熊本市内と郊外の菊池を結ぶ熊本電気鉄道。
1960年代は多くの地方私鉄が消えて行ったが、今なお残る熊本電鉄。
1967年3月に訪問した時は、熊本市内の藤崎宮前から菊池まで営業していたが、その後菊池~御代志間が廃止され、藤崎宮前~御代志間と、上熊本~北熊本間が今も営業している。

当時の地方私鉄は今とは大違い。地方私鉄は特徴ある車両が大変豊富で、熊本電鉄も様々な車両が在籍していた。熊本駅から市電で少し離れたところに始発駅の藤崎宮前があり、ここから菊池まで往復したが、車両ばかりに注目し沿線はこれと言って記憶がない。改めて写真を見ても、当時の熊本市郊外を行く沿線には何もない。

泗水 - 高江  1967.3.6

高江 - 辻久保


2010年4月18日日曜日

永平寺と芦原温泉を結ぶ電車

京福電気鉄道福井支社 永平寺線。
福井県の北陸本線金津(現 芦原温泉)から永平寺を結んでいた。
1969年に金津~東古市(今の永平寺口)間が廃止され、残る東古市~永平寺間も2002年に廃止された。

1968年1月に福井駅から入り、永平寺線に乗り雪の永平寺を訪問した。永平寺と金津の間を丸窓電車が単行で走っていて、これに乗ると芦原温泉、さらに三国線に乗継ぐと東尋坊へと出れる。
当時の福井支社の各路線は複雑に入り組んで大変分かりにくいが、撮った写真を見ると各支線はほぼ乗っていたようである。  

永平寺駅   1968.1.14 

永平寺駅  

金津(現JR・芦原温泉)駅

2010年4月16日金曜日

淡路交通1 島の電車

アメブロに4月14日アップし後、こちらに移動。

淡路島の洲本から福良まで走っていた淡路交通。
1965年8月、夏休みの酷暑の中、淡路の道路の猛烈な埃をかぶりながら鉄道沿線を撮影した。
この頃は地方の道路は未舗装で淡路島でも道路沿いの草木や民家は埃だらけであった。
沿線撮影を終えてから福良で船に乗り鳴門海峡うず潮見物で埃だらけの身体を癒した。

淡路交通   1965.08.03


花巻の銀河鉄道ともう一つの軽便鉄道。 ここからブログがスタート

アメブロの音楽ブログに4月13日アップ開始した「地方私鉄1960年代」を、Googleブログに移動しました。




4月6日にアリソン・クラウスのNHK BSh1放映の画面をアップした後、一気に1960年代のモノクロ銀塩写真の世界に突入。デジタルから急にアナログの時代が恋しくなってきた。音楽から鉄道へ変身し、まずは花巻駅から西鉛温泉と花巻温泉へ走っていた軽便鉄道の花巻電鉄からスタートします。


1964年8月の東北私鉄めぐりで、始めて花巻を訪問。
銀河鉄道のモデルとなった岩手軽便鉄道は、その昔この花巻電鉄と一緒に移転前の中央花巻駅から出発していた。花巻電鉄は岩手軽便鉄道と同じように小さな軽便鉄道であった。


西公園停車場  1964.8.2  
印画紙プリントのスキャン画像を残しました。


無断使用があり画像削除しました。
移転後の中央花巻駅とデハ57. 1964.8.2
この先に花巻電鉄と岩手軽便鉄道が発着する中央花巻駅があった。