案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年12月29日水曜日

尾小屋鉄道 新小松の車庫

小松の車庫を訪問すると、昨日お願いしてあった奥のSL 5号機を引き出して頂いた。
立山重工製の産業用タイプで軽便にしては巨大な蒸機だが、軽便唯一の現役蒸機で貴重な存在であった。車庫にはバスが同居し、次第にバス庫となって行ったのだろう。

夏場は車庫の奥だったが、冬場は外に出ていた5号機  
新小松 1964.12.30

冬季積雪時の除雪用として大きなスノープロウを装着した現役の軽便蒸機 5号機。  


5号機

キハ2で奥にあった5号機を引き出した。

車両(キハ1)とバスが同居している車庫構内。 

この日よく見かけたホハフ 5


2か月前に廃線となった遠州鉄道奥山線からやってきたキハ1803。
10月末まで現役であったが、廃線後2か月で無残な姿になっていた。
輸送中に傷んでしまったのだろう。

2 件のコメント:

H.Kuma さんのコメント...

katsuさん、皆さん、こんにちは。
尾小屋鉄道の貴重な写真を見る事が出来て嬉しいです。

大学で鉄道研究会に入って、最初の夏に小松で合宿がありました。
もちろん先輩方の目的は廃止間近の尾小屋だったんですが、私はもっぱら北陸ワイドの周遊区間で国鉄の線ばかりに乗ってました。
今考えると何と勿体無い事をしてたんだと思いますが、当時はまだあまり興味がなかったんですね、この方面に。
廃止されたのはその翌年の事です。

katsu さんのコメント...

H.kumaさん、おはようございます。
大学の合宿で尾小屋が訪問できたとは羨ましい鉄道研究会でしたね。
ここまで生き延びた尾小屋には多くのファンが訪問されたと思いますが、尾小屋に目を向けるようなファンはごく一部ではなかったかと思います。
軽便を良い機材で撮影できた最後の時代でしたね。
そういえばこの頃は目の前にビルが出来て、屋上から軽便の駅を俯瞰できました。