案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年5月25日火曜日

浅野川線の風景

北陸鉄道 浅野川線。
浅野川線は今も金沢駅前から内灘まで走っているが、1964年当時も内灘まで は内灘の先の粟ヶ崎海岸まで 走っていた。1964(S39)年の大晦日は金沢市内線、金岩線、浅野川線と北陸鉄道の3線を訪問した。金沢駅前で浅野線に乗り終点粟ヶ崎海岸 内灘まで行き、沿線を歩いてみた。

まずは浅野線のこんな風景から。 1964.12.31


終着駅 粟ヶ崎海岸 内灘は何もないところであった。

大野川を渡る。 粟ヶ崎ー蚊爪

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

浅野川線には町田のTさんと厳冬の時期にいきました。終点から金沢に戻る途中。軽トラックが線路に転げ落ちていました。歩いて金沢に行ったと思います。変化に乏しい風景とおとなしい車両であまり記憶にないのですが
民家のたたずまいと人々の動きがある写真に
安らぎを覚えます。昔からこのような写真を撮っていればなぁ、と反省と気付かなかった口惜しさがほろ苦くほろ苦く。青蛙

katsu さんのコメント...

青蛙さん
北陸鉄道の各線は単調であり、撮りっぱなしでした。撮ったものを45年後に始めて見ると、その時代の光景が楽しめます。

匿名 さんのコメント...

今から30年余り以前、妻が交通事故で医者巡りの折、金沢医科大学に通うのに何度か乗りました。まだ、写真の電車で、程なく東京から来た小綺麗な電車になりましたし、路地裏を縫うように走る情景もなくなりました。
 初めて乗ったのは半世紀前、小学生の頃、両親と福井から遥々内灘へ海水浴に行った時で、その時の電車はどこかの“板”で見たポール集電器の木造のおぞい電車だったのでしょう。

katsu さんのコメント...

匿名さん
半世紀前の思い出をありがとうございました。
子供の頃、海水浴に行った時に乗った木造ポール電車に、何とも言えないものを感じます。
海水浴のお客を満載して走っている光景を勝手に想像してしまいます。