案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年12月10日日曜日

井の頭線 永福町

先輩のアルバムから。

高校生時代に通学で利用していた井の頭線だが、カメラを持ってなく撮ることは無かった。その後、カメラを手にしてもまず井の頭線に目を向けることが無かった。きっと前照灯が2灯化されて嫌気をさしたのだろう。先輩のアルバムに写った井の頭線はまだ綺麗なヘッドライトであった。

懐かしい井の頭線の永福町車庫。確かカマボコ屋根の車庫であった。1961年春

今の永福町を通るたびに昔の車庫が思い出される。永福町 2017.10.27

井の頭線が二灯化される以前の時代。渋谷行き1802+1712+1302+1902 明大前~東松原
1963.1.7

渋谷行き1763+1055+1005 西永福町-永福町 1962.8.17

キャベツ畑の明大前-永福町を行く吉祥寺行き1000系 1963.9.27   

渋谷行き1805+1202+1702 永福町-西永福 1962.8.17

2017年12月6日水曜日

頸城の車両3

撮影:1962.8.3
浦川原から貨車を牽いて新黒井に向かうホジ。 明治村

夏の新黒井
薪を満載した小さな貨車トフ1。こんなものまで模型製品化されているとは驚き!! 

新黒井駅舎。


夏の百間町
1962年の百間町時刻表。
コッペル 2号機

2017年12月3日日曜日

頸城鉄道の車両2

ホジの室内ですが、肝心なお客が写っていません(泣)。
資料写真ですが、素晴らしいホジは運転席だけでも絵になります。
床の低い軽便客車を見事に気動車に改造してしまう設計は、まるで模型のようです。
設計者がたいしたものです。

撮影:1962.8.3
ホジ3の運転台

ホジ3の車内

ホジ3の下回り

ホジ3の台車.下が動力側
よくまあこの客車のアーチバー台車に動力軸を詰め込んだものです。

元々はホハ3で、動力化でホジ4となり、その後また客車に戻されたホハ5とその台車.

十勝鉄道からやってきたDC123.百間町


鉄道模型趣味の頸城訪問記を読んで憧れたハ5と6. 新黒井

 どの客車もまだ荒廃する前であった。ニフ1 新黒井

 ホハ3 新黒井

2017年12月2日土曜日

頸城鉄道の車両1

車両が大きく写った写真は模型用に撮ったもので、他に使い道がなく眠っているので軽便がまだ元気だったよき時代の車両を公開します。何枚かは過去にアップしたのがあるかもしれません。

撮影:1962.8.3
 ホジ3 浦川原

ホジ3

 ホハ4 浦川原

ワ13  浦川原

ホジに牽かれた薪を積んだ貨車。 浦川原

  浦川原に向かって貨車でいったい何を運んでいたのか凄い編成です。ホハ2  明治村

 ワ8 浦川原
貨物引込線のホーム上ではトラックから小さな貨車へ米俵が積込まれ、新黒井まで輸送し国鉄貨車へ積換えしていた。非効率な軽便貨物輸送はあっという間にトラック輸送へ切替わって行った時代で、頸城鉄道も部分廃線により貨物輸送が廃止された。

ワ11 浦川原

一見立派に見える貨車だが、国鉄と並んで初めて分かる軽便貨車のサイズの魅力。可愛らしい貨車たちが休む浦川原。 ワ12  

2017年11月17日金曜日

下電の観光コース

バスが走る道路、下津井電鉄の路線、鷲羽山の関係はこんなになります。瀬戸大橋は開通前でまだ記載されていません。


創立75周年記念乗車券にあった周遊コースがこれでした。
どちらも船から瀬戸大橋見物を組み込んだもので、Aコースには下津井電鉄の下津井~鷲羽山までの乗車が組み込まれ、Bコースには電車の乗車がなく地上は全てバス移動でした。


瀬戸大橋開通後もこんなコースが存在したとするとメリーベル号の活躍はほんの一部ということに。そして岡山、倉敷からはJR開通により便利なJRで児島へやって来て、JR児島駅から離れた下電の児島バスセンターには寄らずJR児島駅からバスで鷲羽山めぐりや、大橋クルーズを楽しんで岡山へ帰るか、大橋を渡って四国へ渡るかで、下津井電鉄が投資した観光路線などには目もくれなかったことが想像されます。
大橋開通後、観光路線の起点である児島バスセンターに倉敷、岡山からの客を呼び込めなかったのが、下電バスもろとも観光路線が衰退してしまった大きな要因だったのでしょう。

鷲羽山からの瀬戸大橋展望。 1988.4.9

瀬戸大橋開通の日 1988.4.10
本四備讃線開通であっという間の坂出。

 
瀬戸大橋開通の日の坂出駅。

2017年11月15日水曜日

下津井電鉄 創立75周年記念乗車券

探し物をしていたらこんなものが出てきました。1988年4月の瀬戸大橋開通前日に購入したようです。この記念乗車券は1986年頃に発売されたようで、記念乗車券の写真は白塗りモハ103型でまだメリーベル号は登場前だったのでしょう。この乗車券の袋に「鷲羽山と瀬戸内海クルーズ号」という2つの観光コースが表示されていました。鷲羽山と瀬戸大橋(架橋工事中)見物を組み合わせた観光コースで、この後、観光路線化が完成後もこんなコースがあったと想像されます。次回、この観光コースを紹介してみます。

創立70周年とセットになった創立75周年記念乗車券


2017年11月13日月曜日

下津井電鉄 観光路線化

1988年4月瀬戸大橋開通後も、下津井電鉄はどうやってこの観光路線に客を引き寄せようとしていたのであろうか?  考えられそうな推測をしてみました。

1987年頃、下電バスのドル箱観光コース(倉敷見物~鷲羽山めぐり)に、メリーベル号乗車、メルヘンチックな児島駅での買い物、下津井駅の車両展示施設見学などを新規に組み込んだのであろう。
瀬戸大橋の開通に伴う丸亀航路の消滅、JR茶屋町~児島開通による岡山~児島間の時間短縮があっても、大橋開通効果により下電バス+観光鉄道のコース(倉敷見物~鷲羽山めぐり)に飛躍的な集客が見込めると読んだのであろうか。

観光路線用に新造したメリーベル号に展望車をつけて観光客にこの絶景を楽しんでもらう。但し瀬戸大橋は見えない。1988.4.9

昔は下津井までバス道路が整備されていなかった絶景の海岸線。
車窓に瀬戸大橋が見えるのはここだけ。下津井電鉄と並走する道路は大橋開通以前に既に整備されていて、児島または下津井から鷲羽山へバスで行けるようになっていた。鷲羽山  1988.4.9

下津井からメリーベル号で鷲羽山めぐりにやって来た団体客。これに乗車することが観光のセールスポイントの一つ。 鷲羽山 1988.4.9


下津井駅は下津井港から丸亀航路で四国へ渡るルートであった。丸亀航路が消滅してからは、ここからバスか電車に乗って児島に引き返す。1988.4.9

下津井駅の観光化。下津井駅に立ち寄る鷲羽山めぐり客に、小型SL運転や車両展示を楽しんでもらう観光施設。

児島駅の移設新設と観光化。下電バスの拠点を児島駅とし、倉敷からの下電バス客はここで買物をしてメリーベル号に乗って鷲羽山めぐりに向かう。

瀬戸大橋は開通し、丸亀航路は既に消えている観光案内図。大橋開通効果で一大観光スポットを目指し、その中にShimotsui✳Cost✳Line(観光路線)を位置づけた。大橋開通こそが客を呼び込めると。 1988.4.9