案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年7月29日金曜日

扇町を訪ねて

以前こんな記事をスタンバイしてあったのを忘れていました。
三井埠頭の1、3、5号機は既に紹介ずみですが、昭和39年12月の扇町界隈はこんな風景でした。

尻手から浜川崎へ 1964.12.25

浜川崎の国鉄C11

鶴見から扇町へ

三井埠頭1号機(ピーコック)と5号機(汽車会社)が働いていた現場.
こんな現場に立ち入るのをよく許可してくれたものです。

 三井埠頭5号機(汽車会社)


 憧れの三井埠頭1号機(ピーコック)

2 件のコメント:

lodgershinmeishrine さんのコメント...

遅ればせながら、ブログの復活、待っておりました.
これからも、データの続く限り、続けて頂きたく陰ながら応援しています.
貴写真を拝見すると1964年12月にはピーコックに火が入っていたのですね.
拙、動画撮影時1966年4月には既に影も形もありませんでした.
当時、5号は休車状態が続いているようで、3号のみが入替をしていました.

katsu さんのコメント...

lodgershinmeishrineさん
お久しぶりです。
励ましのコメントありがとうございました。
この写真を撮った頃はピーコックに火が入るたびに情報が入ってきて、
それを聞いて駆けつけていました。
よくあんなところでヨレヨレの古典蒸機が動いていたものです。
他の産業機関車風の蒸機と比べると老いてもさすがにピーコックには風格がありました。