案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年6月17日日曜日

福島交通軌道線 さいわい橋

福島交通軌道線の中でもとりわけ印象深い木橋「さいわい橋」。

福島駅前を出て長岡分岐点の手前で電車は摺上川に架かる木橋「さいわい橋」を渡る。
橋の欄干には昭和41年12月竣功とあったので台風で流された橋が復旧直後だったのでしょう。
日中の雪解けで泥だらけの電車であったが、大晦日の朝の「さいわい橋」は素晴らしい光景であった。


大晦日の朝の「さいわい橋」  瀬ノ上荒町-河原町 1966.12.31
福島駅前から来た電車は橋を渡り長岡分岐点へ向かう.

摺上川に架かる復旧直後の木橋「さいわい橋」

さいわい橋を渡るとドロ軌道を長岡分岐点へ向かう.  河原町

4 件のコメント:

toshi さんのコメント...

素晴らしい光景ですね。木橋は駿遠線の専売特許かと思っていました(笑)
併用橋で幅が広い分こちらの方が安定感は有りますが。
駿遠線は鉄骨ガーターの性でトップヘビーで不安定に見えるのでしょうか。

katsu さんのコメント...

toshiさん、コメントありがとうございました。
駿遠線の延々と続く木橋ほどの驚きはありませんが
耐荷重4トンでよくトラックと電車の重みに耐えたものです。

Cedar さんのコメント...

我々親子がここで撮影したのは、貴兄のお写真から一年半後の夏でした。橋の前後の集落を抜ける情景が素晴らしかったのと、橋の上の架線がコンパウンドカテナリーみたいだったのが印象に残っております。

katsu さんのコメント...

cedarさん
そうですね~確かにさいわい橋の前後の集落を抜ける情景が素晴らしく、感動が日記に書いてありました。
旧街道で橋の手前の集落はまだネガを取込んでないのでこれから確認です。
cedarさんの今昔写真日記で昭和43年夏の長岡分岐点パチンコ店前のデルタ線が印象的でした。
あのカラー写真は私が見た冬の長岡分岐点とどう見ても同じ場所には思えませんでした。