案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年4月27日金曜日

北陸鉄道 小松線1

北陸鉄道の紹介で最後となった小松線です。

尾小屋鉄道と小松線を初めて訪問したのは1962(昭37)年であった。
この時に見た単車やトレーラの凄い車両達はこの後1963~1965年にかけて廃車されてしまった。
昭和37年頃の時代は、どこの小私鉄でも戦後を生き延びた凄い車両達が最後を迎えていた時代であったような気がする。
この小松線も、この後に北陸鉄道金石線のモハ3000形5両に置き換えられると平凡な路線になってしまった。

小松線の小松駅. 駅には「ハニベ厳窟院大佛 北陸鉄道」と書かれた看板が.1962.08.01

庫内に休む主役モハ1002は日鉄自動車製の全長11.8mの可愛いい電車.


サハ511(元金石電気鉄道の客車)


モハ501(白山電気鉄道生え抜き) 503はボギー貨車に改造されて加南線にいた.
ブドウ色の単色 小松製作所プレス工場の脇にあった小松駅


サハ511(元金石電気鉄道の客車)

モハ502(白山電気鉄道生え抜き) このツートンが西鉄似カラーか?

これは凄い! 電車崩れの客車サハ571(元温泉電軌デハ15)

小松駅全景


直ぐ近くにある尾小屋鉄道の機関庫ではDC121が出動するところで
落着いた濃淡緑に塗られた旧塗装が印象的であった.

6 件のコメント:

常夜燈 さんのコメント...

北陸鉄道を訪れたのは昭和41年が最初です。
katsuさんの写真の、各線(各社)の創業期の車両が未だ残っていました。公園下の車庫で
鉄道線の車両の全検や改造をしていました。
木造単車からアルミカーまで何でも揃っている
鉄道でした。

katsu さんのコメント...

常夜燈さん
常夜燈さんが撮られた昭和41年を見ると北陸鉄道他線の電車がいろいろ入っていますね。
尾小屋へ行った回数だけ小松線も撮ってあるのでその後の小松線のネガを探そうと思っています。
いつも尾小屋のついでの訪問で乗車はしていません。
昭和37年に終点遊泉寺まで探索していたら大変な光景が撮れたことでしょう。

元・いきもの部長 さんのコメント...

個性的な車両たちですね。見たかった‥‥
小松線は、昭和51年に尾小屋鉄道へ行ったついでに2回ほど乗車しました。
当時の尾小屋鉄道は、午後一番が出ると次の列車は約3時間後でした。そこで、空き時間の有効活用?として吉竹あたりから若杉まで歩きました。
車両は、既にモハ3000形になっていました。

代打・山本 さんのコメント...

小松線は北鉄合併後に新車として投入された車両は1両もなく、他線からの転入車が最後のお勤めをする場所として位置づけられていたようです。この時点での在籍車で写真に写っていないのはモハ1001と元余市臨港のサハ301、302、有蓋車ワ751、無蓋車ト751ということになりますが、1001は稼働中で他の4両は軽海か鵜川遊泉寺の側線に留置されていたものと思われます。

katsu さんのコメント...

元いきもの部長さん
小松線は昭和46年の金石線の3000形5両入線でそれまでの雑多や小型車など全てが淘汰されたようです。
昭和51年と云えば尾小屋も廃線迫る頃、私も立寄りました。
この時、新小松駅の前に立てられたスーパーの屋上から撮ったのが尾小屋の最後でした。

katsu さんのコメント...

代打・山本さん
その通りです。
写っていなかった車両は他の場所に居たのでしょう。
元余市臨港のデッキ付サハ301、302はこの時代の小松線では最大の珍品ですね。これは興味深々で見てみたかったものです。
こうしてみると平凡な小松線も過去の車両遍歴を見ると中々面白いものがありますね。