案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年3月14日水曜日

茨城交通湊線 海辺の終着駅

阿字ヶ浦の駅はカラーで撮った記憶があるがネガが行方不明で、
全く撮った記憶のない1972年夏の阿字ヶ浦駅がモノクロネガで出てきた。
ステンレス気動車が当時の湊線らしい風景であった。


阿字ヶ浦  1972年8月


阿字ヶ浦近くを行く ケハ601.  干し芋の産地で一面にいも畑が拡がる

 
 

阿字ヶ浦駅の風景 1972年8月


2 件のコメント:

風旅記 さんのコメント...

こんばんは。
駅から海が見える訳ではないのですが、どこかに海に突き当たる終着駅の寂しげな風情を感じさせてくれる駅です。
私は、今のひたちなか海浜鉄道に変わってからしか訪ねたことはありませんが、好きな終着駅の一つになりました。
ひたちなか海浜公園まで路線を伸ばす計画もあると聞き、鉄道が頑張って営業していることに嬉しく思っています。そのときには、きっとこの駅も大きく変わるのでしょうが、それは嬉しい変化です。
お写真にありますステンレスの気動車は、那珂湊の車庫に置かれている廃車体を見ました。独特な風貌に、地方私鉄が独自に車両を作っていた時代を想像したことを思い出します。それぞれの路線に、そこにしかない情緒と光景があったのだろうと思います。
今の鉄道の姿を丁寧に見ていくことが大事だと、改めて思わされます。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com

katsu さんのコメント...

風旅記さん
こんばんは。
いつもコメントありがとうございます。
海に突き当たる終着駅と言えば京福電鉄福井支社の三国港駅がありますが、
ここの終着駅はそんな駅とは全く違う雰囲気ですね。
今はどうなっているのか訪れたことありませんが昔のイメージそのままを想像します。
乾燥芋の芋畑とステンレス気動車がお似合いでした。
茨城に住んでいた頃はクルマで阿字ヶ浦までよく行きましたが、
今ではとても遠い土地に感じられます。