案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年6月24日金曜日

長崎電軌 大浦支線

5系統は大浦支線と蛍茶屋支線をつなぎ蛍茶屋と石橋を往復する。街の中心部を走り沿線に名所・旧跡が多く魅力的な路線である。
大浦支線は築町から石橋までで、築町-市民病院前-大浦海岸通り-大浦天主堂下-石橋の電停がある。長崎の名所に行こうと長崎駅前で1系統に乗れば、築町で5系統に乗換えて大浦支線沿線の名所・旧跡を訪ねることが出来る。路面電車の撮影ポイントとしても誰もが真っ先に向かう路線であろう。


長崎駅前で1系統に乗ると「築町」で5系統石橋行きに乗換えができる.


海岸通りを行く5系統石橋行き.背後の高台に三角屋根の活水女子大が見える.

電停「大浦海岸通り」の処を曲がり川沿いに大浦石橋通りを走る.

対岸に夜景の名所として知られる稲佐山を背にし、レトロな町並みが続く大浦石橋通り.
あれから44年、今は一体どんな街並になっているだろうか.

大浦石橋通り風景

石橋
石橋の賑わい   ポップアップ画像









終点石橋

参考文献: 週刊朝日百科「歴史でめぐる鉄道全路線 公営・私鉄」No.13

6 件のコメント:

nekosuki.org さんのコメント...

 「あれから44年、今は一体どんな街並になっているだろうか」とのことなので「こんなんなってます」と返事をしようと思ったんですが、なんか写角がぜんぜんちがうもので参考にはならんかなあみたいな感じで。行ったのは2003年で、駒番号から見るとこれはコンデジを買った直後、どう使えばいいのかまるっきしわからず迷ってた時期で、そのせいもあるんでしょうねえ。URLから飛ぶと築町分岐点に出て、そこから石橋駅までだらだら並んでいます。
 ちょっとこの44年前の風景とは重なりませんで、言われてみれば同じ場所なんだろうなあという程度には変わってしまっているようです。

http://nekosuki.org/landscape/permalink/%8F%EA%8F%8A%81F%92%B7%8D%E8%93d%8BO%81E%92z%92%AC%95%AA%8A%F2%93%5F.htm

Cedar  さんのコメント...

いつもながらすばらしいですねえ・・・地方都市の生活館が写しこまれたフレーミングに感動してしまいます。この場所は学生時代に行って大好きだった場所ですが、とてもこのように上手く撮影できませんでした。
それにしても日本の街つくりって、積み重ねてきた暮らしを維持しつつ進化させる、ってのが本当に下手ですね。(ここの現状も推して知るべし・)
ヨーロッパの町とつい比べてしまう・・・

青蛙 さんのコメント...

鉄道写真は車両中心とした車両のみの走行写真が多いのですが、それはそれでいいのですが、貴兄と50年以上撮り続けたものは情景写真です。生活感あふれる中に走り回る車両と
当時の町並み。時代を切り取った写真。これぞT君を含めた求め続けた鉄道写真です。中でも故人となったI君もそうだたかも知れません。貴兄の写真にいつも見とれており、当時を思い起こしています。

katsu さんのコメント...

nekosukiさん
現在の長崎電軌の紹介拝見しました。
「鉄道のある風景」サイトほんとによく撮られたものです!
築町から石橋まで丹念に撮られた画像で今の大浦支線の風景がよく判りました。
昔あった川は見えなくなり、川沿いにあった街並はビルになり、残っているのは昔からの電車や線路だけ?の感じです。
名所旧跡を除けば、いかにも長崎らしい街並は全国どこにでもある風景に変わってしまったようです。
その変貌ぶりには驚きました。まあ長崎だけでなくどこの地方都市でもこの変化は当たり前なのでしょうけど。

katsu さんのコメント...

Cedarさん 
Cedarさんが学生時代に行かれた長崎も、きっとこんな風景だったのでしょう。「地方都市の生活感」これこそが観光旅行では分からない鉄旅行の醍醐味ですね。
消え行く路面電車を撮りに行ったはずが、その後長崎の電車の殆どはしっかり活きていて沿線の風景が消えてしまったのが皮肉です。
ヨーロッパのように積み重ねて来た良さの上に街づくりがされたなら、確かに長崎らしさはもっと残されたのでしょうね。今の長崎に行って肌で感じてみると、どんな想いになるのでしょうか。

katsu さんのコメント...

青蛙さん
鉄道撮影の楽しみ方は当時から鉄仲間全員で共通でしたね。皆さんの影響を受けて私も走行写真を撮るのを重視するようになりました。
しかし昔撮った自分の写真を見ると車両中心が多過ぎて、何故もっともっと街並や人々の中に入り込まなかったのかいつも悔やんでいます。